家族を持つということ、父親になるということ

ほんの数年前まで、自分が結婚していることすら想像できなかった。いずれはするんだろうくらいにしか思っていなかった。 それが今では妻がいて、1歳3ヶ月になる息子までいる。 特に2010年は年初に入籍して年末に出産という劇的な人生の変わり目を迎えた年であった。

その結果なにかが変わってきたように感じる。 それは身体的な変化ではなく気持ち面での変化である。 息子が産まれるまでは、自分が人の父親になることに、なんだか違和感を感じていた。今でもそんな気持ちをどこかで引きずっているかもしれない。 自分が子どもを教育して立派な大人にできるのか、と。

実際にはそんなことを考える余裕もないくらい、子どもにかかりっきりになる。 産まれてからというもの、毎日のオムツ、食事、お風呂、寝付けなどゆっくり休める暇はない。 (そんな中でも休日に勉強会とかで出かけるのは後ろめたい気持ちがある)

赤ちゃんというのは産まれてばかりの頃は本当に何もできない。泣いておっぱいを飲んで、おしっこして、うんこして、寝るだけである。 それが3ヶ月を過ぎたあたりから色んなことが(本当に少しずつ)できるようになる。 表情が出てきて笑顔がつくれるようになる。寝返りができるようになる。手で握ったり掴んだりできるようになる。 寝返りができるようになる。ずりばいができるようになる。ハイハイができるようになる。一人で立てるようになる。etc… 赤ちゃんの笑顔は裏表がないのですんなり受け止められる。意外とこれは面白くもあり、楽しくも感じる。

子どもは親にとっての存在理由

息子が少しずつ成長していく過程を日々見ていると、それだけで何かが自分の中で形作られていく。 「この子の成長のためになるのならできるだけのことをしたい」 「もしも自分と妻がいなくなったらこの子はどうなってしまうんだろう」 ときどきちょっと不安になる。

話の出処は忘れたが、妻は「1億円でもこの子は売らない」と言っていた。 ぼくとしてもいくら積まれても売ることはできないだろう。 もしも子どもを手放してお金を手に入れたとしても、そこに幸せはないと思う。

人の親になって初めてわかったことがある。 それは子どもは親にとって「生きる意味」に成りうる。 最近、DRIVE!モチベーション3.0を読んだときに気付かされたことがある。 人の幸せは「お金」ではなく、「自分が社会にどれだけ貢献できたか」ではないかと。

子どもをつくるのは最大の親孝行

もう一つ、思ったことがある。 それは「子どもをつくることは最大の親孝行である」 うちは両家にとって初めての孫であったため大変嬉しがられた。 結婚から妊娠までの期間があまりにも短かったので最初はびっくりされたらしいが産まれてしまえば大変な可愛がり様である。 自分の親に孫の顔を見せてあげる、ということがどれだけ嬉しいことか。 それを自分が感じることができるのは息子が孫を産んでくれるまで、わからないけれど、きっと今とは違った心境なんだと思う。

まとめ

ということで、長々と何が言いたいかと言うと、

  • 子どもの存在は親にとっての存在理由である
  • 親になるイメージができなくても子どもと一緒に成長できる
  • 子どもをつくるのは最大の親孝行である

そんなことを考えている最近です。